ココロミにきみ

本と体とプログラミング

カラオケの「ラララ〜♪」の良さ

竹内マリアさんの「駅」を歌ってるときに、「ラララ〜♪」の良さに初めて気づいた。

いままで「ラララ〜♪」のパートは「歌詞がない=意味がない」と思って、そのパートに入ると演奏停止をしていた。でもそんな無駄なものが歌に入ってるわけもなく。

 

この「駅」という歌は、『別れた人を2年ぶりに電車の中で見かけて、その電車に乗っている間だけ2年前の記憶に連れ戻されて、でも声もかけられないまま過ぎ去ってしまう』という話。

その歌詞のあとに「ラララ〜♪」が来て、ちゃんとラララを歌うと、今歌い過ぎ去った電車の中の光景の続きが目の前に現れてきて、さらに切ない気持ちに。


駅 Eki (Live) - Mariya Takeuchi 竹内まりや

この感触は、映画の「恋人までの距離」で恋人たちが幸せな一晩だけのデートをしたあとに、回想で二人のいない同じ場所を順番にカメラが映し出していった時の空虚感。

歌を改めて考えてみると、最初に歌詞があったはずがなくて「ラララ〜♪」や「アアア〜♪」のメロディだけがあったんだろうなと。それに意味はなくて感情や感覚だけがあって。

「ラララ〜♪」をきちんと歌うかどうか、楽しめるかどうかって、大事なことの気がしてきた。人生は意味ガチガチ派の人は「ラララ〜♪」を歌わないんだろうなー。