ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 混ぜる教育

「混ぜる教育」副題:立命館アジア太平洋大学、APUの秘密 

これは面白い。大分県の別府に2000年に開学した、50カ国以上からの留学生が50%、教員も外国人が50%である大学、APUの話。 

混ぜる教育

混ぜる教育

 

 この本が考えさせるのは、どんどん分類して細分化していく社会で、あえて「混ぜる」ことの意味。留学生と日本人を混ぜ、大学の職員と教員を混ぜ、別府の街と大学を混ぜ、企業と大学を混ぜ、学びに海外を混ぜるAPU。

ただ混ぜるんじゃなくて、おそらく混ざっていく途中過程までデザインされており、さらに常に手をかけ続けてることで成り立っている、ちょうどいい混ざり具合。その中で揉まれて育った学生が面白い人材になっていくのは頷ける。羨ましい。

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個人的に自分が大学院生だった頃にこのAPUと同じ(であろう)理念で、留学生半分、日本人半分の環境で学ぶことが出来たのに、それが活用できなかったのが悔やまれる。他人のせいにするのもどうかだけど、ちょうどいい混ざり具合プロセスはその環境にはなかった。というかほとんどAPUが初の成功例なんじゃないだろうか。

今は自分が社会人として与える立場に立ったときに、「混ぜる教育」を自分が担えるか?と言われたら、そうとう躊躇してしまうくらい大変なことはわかる。同時に運営する側としてもめちゃくちゃ面白いだろうことも。

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ただ、改めて考えると

「なぜ混ぜると面白いんだろう?」

「なぜ一般的に混ぜるのを避けるのだろう?」

と。

二つの問いに同時に答える理由を一つ思いついた。

「混ぜることで生まれてくる学びや成長は予測がつかないし、測る尺度が存在しない」

だから当事者は面白いし、管理する側は説明責任が果たせないから避けると。今APUという面白くも成功している前例が出来たあと、ほかの大学はどうしていくのだろ?どうしなければならないかは、火を見るより明らかな気がする。