ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 花のベッドでひるねして/ふなふな船橋

ばななさんの作品に出てくる「違わないこと」というテーマがまだピンとこない。人生のどういう状況であれ、誘惑に流されずに「違わないこと」を選ぶのだと。その判断は身体に従うことでもなく、理性に従うことでもなく。

この言葉に関して「花のベッドでひるねして」と「ふなふな船橋」は姉妹作品だと思う。主人公はそれぞれ、幹と花。二人とも一見危うい人生を、上手に幸せなものとして受け取って生きている。その受け取り方、生き方の秘訣が「違わない」こと。その選択の連続自体が物語を自然な方向に運んでいる。

花のベッドでひるねして

花のベッドでひるねして

 

 「花のベッド」のほうは、無駄が極限まで削がれた自然のような呼吸のような存在に感じる。読んでるときはしっかり心を動かすのに、読み終わったあとは親しい人の存在のように空気になってしまう。おそらくすごく心が落ち込んでる時に読んだりすると、ちょうどいいものになってるんだと思う。

 

ふなふな船橋

ふなふな船橋

 

 「ふなふな」は、同じことをもう少しとっかかりを増やして書いている気がする。「花のベッド」で出されたアイデアを「ふなふな」で肉付けした感じ。普通のテンションの時に読んでちょうどよい感じの表現の過剰さ。

 

「違わないこと」自体はよくわからないままだけど、「違わないこと」を続けていると自然に物語の中で世界が繋がっていく感じがする。その繋がり感は今の自分になく、切実に欲しいと感じてるもの。でもきっとここ数年の自分は「違っている」ことを選んでいるのだろう。

・・・少しわかってきた。「違わないこと」を選ぶのは自分側には属してない基準なんじゃないか?敢えて言葉にするなら「今の私にはこれだ!」としかいいようのない選択肢。たぶん自分、自分と考える時間を無くすほど得られるもの。曖昧のまま続けると、この感覚は村上春樹さんの小説に出てくる主人公たちが否応無く向き合わねばならない、唯一の選択肢のあり方に通じている気がする。そしてなんだか河合隼雄さんのいう「魂」にも繋がっている気がする。

よくわからないままに、身体と頭を少しでも柔からく自由に保っておくのが、いまできる唯一の「違わないこと」の一つだと思う。