ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

コピーを奨励するのに、コンテンツ・ビジネスで成功している逆説的な存在を学ぶ。

グレイトフル・デッドはアメリカで1965年から活躍している伝説的なバンドで、当初から観客にライブの録音を許可して、そのコピーの流通を許可して、バンドのロゴ入り商品の販売を許可して、特等席はスポンサーではなく、一番のファンの手に入るようにチケットの直販を行ってきた。さらにライブはその時にある最高の音響技術を使い、同じツアー中でも毎回曲目や曲順や演奏方法が違ったりして、観客だけでなく演奏者も結果を予想できない「ライブ体験」を最高のものとして提供してきた。その結果、デッドヘッズと呼ばれるコアなファンやおかっけファンやコミュニティが育ち、数多のバンドの中で長年生き残ってきた伝説のバンドになったという。

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

 

 この本の主張を教育業界で働く者として当てはめてみると、「ライブ=授業」を最高のものとしてそこに一番の価値を置き、その「コピー=録画映像授業」は無料でどんどん公開していく、というのがまず考えられる。録画映像はやはりライブには劣るので、その映像授業を見た見込み客が、ここで学びたい!とファンになって、ライブ(授業)に参加するためにお金を払う顧客になっていくと。

授業のサンプル映像を無料公開するところはたくさんあるけれど、実際の授業がどうなのか?というのは正直、その教育機関に正式に属して通ってみないと分からないのが業界の実情。そういう博打的な選択を顧客に強いている業界である、ということから、どの教育機関も目を背けている。もしくは全映像授業を公開しても自信がある、という教育機関のほうが少ないのからかもしれない。

また、実店舗を持つ教育機関は今後はさらに、「サテライト映像授業に特化した会社」や「ビッグデータを使った勉強弱点自動補強プログラムの会社」と戦っていかなければならない。つまりは「コピーが主軸の集団」に対しては、「ライブが主軸の集団」とならなければ戦う前から負けが確定してしまう。

 

だから、授業(=ライブ)という価値を持つ組織は、ライブの価値を高めるのに一番にエネルギーを使って、それを二次的に使用される分(=映像コピー等)は無料で使わせて口コミ広告になってもらうという方法でしか、もう生き残っていけないんだろうと思う。うーん会社でこのアイデアをプレゼンしてみよっかな。