ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 「身体」を忘れた日本人

養老孟司さんとC・Wニコルさんの対談本。

(養老)言葉は耳と目を一緒にしなくちゃいけない。そのために「時間」と「空間」という概念を発明する必要が出てきたんです。つまり、視覚が聴覚を理解するためには「時間」という概念が必要だし、聴覚側が視覚を理解するためには「空間」という概念が必要だったんです。(本文引用) 

「身体」を忘れた日本人 JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES

「身体」を忘れた日本人 JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES

 

 養老さんが意識の機能がモノゴトを「同じ」にすることである、ということに気づいてから導き出されたアイデア。本文にも書いてあるのだけど、目から入る情報と耳から入る情報という全然別次元の情報を、同じ「情報」という一括りで脳が処理するために、言葉が生み出されて、「時間」や「空間」といった概念が作られたと。(すごく腑に落ちてるんだけど、脳の理解のほうが追いつかない。)

言葉を持たない動物にとっては、耳情報と目情報は別々に存在して互いにリンクしない。ということは言葉能力が弱いと、空間概念や時間概念も弱かったりするのかもしれない。国語力が弱い生徒が数学ができないことに理由ができたかも。逆に、空間感覚や時間(変化)感覚を発達させないと、言葉が発達しないのだろうか。

よくもまぁこんなことを養老さんは一人で考え出したなぁと思う。「考える」という能力を使い続けていくと、こんな域にまで達せられるんだなと。

 

話は変わって、C・Wニコルさんの北極での経験談も面白い。

3年間毎年3ヶ月間一人で文明の利器も持たずに北極で過ごしていたら、ある時からそれぞれの島ごとの「固有の音」が分かるようになった。その時からアザラシやキジなどの動物達が寄ってくるようになる不思議な体験をしたと。ちなみにその時に視力も回復して眼鏡がいらなくなったと。

 

対談の結果生まれてくる新しい意見の面白さより、こういう変わった二人がいて、それぞれの存在がお互いの面白い部分を引き出している所に感化されるのが、一番真っ当な読み方だと勝手に納得している。