ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 文系の壁

鈴木:そうですね。もしかしたらミクロな単位で「小さな意識」のようなものが生まれているんじゃないかという気はするんです。脳全体の単位でなければ意識が存在しないのは、とても不自然なことではないでしょうか。そうすると細胞の単位でミクロの意識がないといけないんじゃないかという気がする。

養老:そう。何かあるはずなんだ。(本文より)

 この本文中のアイデアは自分の実感でもあって一番興味深い。以前、遠距離恋愛の彼女に久々に会ったときに、体中の細胞が沸き立って、彼女の方向に引っ張られる感覚を経験して、この感覚は何なんだ?と後から思ったことがあり。勝手に他の例でいうと漫画の「寄生獣」のミギーたちも、それぞれ細胞一つ一つが意思を持った存在として描かれている。たぶん寄生獣の作者にも養老さんや鈴木さんと同じ感覚があるし、けっこういいとこ突いてるアイデアなんじゃないかな?

文系の壁 (PHP新書)

文系の壁 (PHP新書)

 

 この本は養老孟司さんが若手と話したことにより、いつもの養老節が分かり易いレベルで展開してもらえるので非常にありがたい。上述の鈴木さんとはスマートニュースの鈴木健さんのことで、著書「なめらかな社会とその敵」のアイデアである膜と核の細胞のメタファーの話が冒頭の引用。他にも対談はハコスコの藤井直敬さんや森博嗣さんなどなど。

文系の壁というのは、「言葉というデジタルなもので現実を処理してしまう感覚」を言っている。現実にあるよくわからないものは「そういうもの」と定義することで次に行く処理方法。

一応は理系として訓練された人間としては、分からない現実に出会った時に

A:「そういうものとして処理する時」

B:「とことん理屈を追求する時」

のどちらのモードで対応するかの感覚の差異が自分の中にある。そしてその感覚が一般的に通じるものではなく、Aだけの人もいるよなーと。Aだけの人は人間社会のルールにだけ興味があって、自然や生身といったものとの境に生ずるBの処理方法には目をつぶっているのだろうと思う。もしくは他の人がやればいいじゃん?って。

そっか、養老孟司さんの言葉に反応する人は、生身の現実や自然とのインターフェイスの部分を引き受けたい、と思っている人なんだなとわかった。