ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 ぼくらの身体修行論

子どものころには多くの人が持っていたハズの、身体を動かす楽しさや喜び、自分の身体がどんどん使えるようになっていく幸せはどこへ行ってしまったんだろう?きっとどこかの時点で身体を忘れてきたんだと思う。

自分自身を振りかえっても、変な話だけど「自分に身体がある!」って気づき直したのは、オトナになって随分たって、怪我をして自由な動きがままならなくなった時だった。そうやって自分の身体に再び出会ってヨガとかを始める人は多いのだろう。その例に漏れずヨガを始めたら、mm単位で自分の身体の変化を内側から眺める習慣がついた。

ぼくらの身体修行論 (朝日文庫)

ぼくらの身体修行論 (朝日文庫)

 

 

この本を数年ぶりに読んだら対談の内容がビシバシ入ってきた。二人の対談は学校教育やスポーツの現場で、僕たちが見失ってしまった身体を見つけ出す方法を説いている。二人の目標はシンプルなことで「身体を使うことを楽しんでいいんだよ!」というのを、あの手この手で伝えようと話しているだけ。

読み手である僕たちは、自分の身体との経験に応じて、文中の分かる箇所を栄養にしていくだけでいい。強制もないし終わりもない。そういう立ち位置で読んでねという意味を込めて、身体修行論という名前に改変したんだろう。

逆に言うと、ヨガでも武術でもいいけどなんらかの方法論を持って、自分の身体と向き合っててヒントがほしい!って人じゃないと、対談テーマが多岐にわたりすぎて何が言いたいのか伝わらないかもしれない。

文中の 好きな話で、

内田:人間の身体能力のいちばん優れたところは、OSがヴァージョンアップするということなんですよ。身体の個々の部位の能力が別に向上しなくても、OSが変わった瞬間に、身体運用の質が一変してしまう。できるはずのなかったことができるようになる。(本文より

 筋トレや有酸素運動と関係ない、運動能力の「段違いの向上がある」ってことか。

修行って実は楽しいんだろうね。