ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 街場の戦争論

「株式会社は経済発展状況の下でしか、存在できない」

 当たり前のことなのにこの本で読むまで考えたこともなかった。現代の日本に生まれてサラリーマンとして株式会社で働いてきて、株式会社という存在が(その根源を考える必要のない)「自明のもの」になっていたことを痛感させられる。

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

 

集団で富を生み出す方法論の一つとして「株式会社という方法」があるのであって、違う手段でも富を生み出すことが出来る。つまりは株式会社は人間が生きていく上で絶対必要な存在ではなく、明らかに永続的な存在でもない。でも代替手段の経験がない(少ない)ので、実感としては株式会社がないと困る!という所で僕たちのイメージは止まっている。

しかし経済成長が永遠に続かないことはわかる。ということは、経済成長の停止とともに株式会社はその存在理由を失う。だから株式会社の消滅(=富を生み出す手段の消滅)を怖れるあまりに僕たちは「経済成長至上主義」になっているのだろう。

 

その株式会社を消滅させないために、経済成長至上主義になり、「民主制という決断を遅くらせるためのシステム」が経済発展を邪魔するものに見えてきて、「国の仕組みを株式会社化(=決断の迅速化)しよう」という発想(by内田樹)になってくる。

ここで株式会社の仕組みと国の仕組みを比較してみると、

株式会社の社長(首相・行政府)は社員(国民)に、会社(国)の情報を全て開示したりしない、経営(国の方針)について社員に尋ねたり(投票、民主制)せず独断で行う。

つまりは、経済が発展しない恐怖に端を発する国の株式会社化は、経済成長に特化して観たら良いかも(?)しれないが、それ以外の政治側面から見たら単なる独裁じゃん。

そもそも「国」と「株式会社」という仕組みはそれぞれ、目的を異にするから違う仕組みなのであって、違うものを同じ仕組みで動かそうとしたら無理がかかるのは当然。

・・・無理筋と分かっている中を僕たちは生きている。

本の前半の一部の理解のまとめ。