ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 「悼む人」のリアリティ

天童荒太さんの「悼む人」「静人日記」を連続で読む。

悼む人

悼む人

 

「悼む人」というのは、ある青年が全国の死者(たいていは不遇の死を迎えた人)を訪ねて回り、その死者が生前「誰を愛し、誰に愛され、どのように感謝されていたか」を胸の中にそっとしまい、できるだけそれを覚えておくことを続けていこうとする物語。

例えばそれが自殺だったり殺人だったりしてなくなった人だと、その最後の事件のコトばかりが記憶されて、その人の人生の大部分を占めていた(かもしれない)幸せな時代がほとんど省みられなかったりする。言われてみれば何かとてもモッタイナイ記憶の仕方を人は(自分は)してるんじゃないか?って。

現在の日本ではだいたい毎日3千人の人がなくなるけれど、個人個人にとってはそれが知人や親族でもない限りほとんど全て知らないか忘れるし、たとえ知ったとしても事件的な部分しか報道されない。それが普通ではあるけれど、それが普通の社会は自分が死んだときも同じ扱い(=意味のない人生と死)であることを深いところで僕たちは、身に染みているのだろうと思う。

そこにもしこの主人公のように、「自分の人生の善き部分を覚えておいてくれる人がいる(かもしれない)」と信じることが出来たら、なにかとても深いところで安心して生きて死ぬことが出来るんじゃないだろうか?

「悼む人」ではその青年 ” 静人(しずと) ” の悼む旅と、周りの人間たちとの関係が語られていく。当然だがそんな変な旅をしていれば、嫌がおうでも家族や周りの人たちは、普段直面してないことや、自分の心と向き合わなければいけなくなり、そこに軋轢がおこる。

 

「静人日記」では、静人本人の目から見た旅の毎日が日記のように語られていく。

静人日記

静人日記

 

 人の死にはこうも種類があるものかと、ほんとに色々な死に様が語られていくのだけど、その全てにリアリティを感じてしまう。ああ、こうやって無駄に無意味に、残念に人は死ぬよねって。一度もそういう死に様を聞いたことがないはずなのに納得してしまう。

そして静人みたいな存在が現れたときに遺族や関係者がどう反応するかも、すごく良くわかる。人は外見では全然分からないものをそれぞれの人が抱えており、静人という存在によってその思いを上手に昇華できる人もいれば、ますます拗らせる人もいる。その化学反応みたいな人間の心の変化は、その瞬間になるまでおそらく本人にもどうなるか分からない。

そういうリアリティがこの本の一番の底力なんだと思う。そして、人の辛い生き死を描いてる割には、読んでる側の心が暗くならないのが「新しい悼み方」のステキさと、文章の上品さなんだと思う。

この本は「発明」だと思う。