ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 竹と樹のマンガ文化論

漫画家であり京都精華大学学長の竹宮恵子さんと、武術家であり思想家の内田樹さんのマンガ対談。

竹と樹のマンガ文化論 (小学館新書)

竹と樹のマンガ文化論 (小学館新書)

 

人気の漫画家や小説家が持っている「魅力」=ヴォイスにまつわる話で 興味深かったのが次。長いけど引用。

内田樹:自分のヴォイスや文体を発見するためには、ひとりでじたばたしてもダメなんだと思います。
個人ではなく、集団の基礎単位で考えなければいけない。同時代・同世代の全ての作家たちを一つの集団とみなす。
そして「この集団が全体として何を達成しようとしているのか」を考える。集団全体が達成しようとしていることが見えたときに初めて、その集団内部での自分のポジションがわかる。その集団内部で自分にしかできないこと、誰も自分の代わりがつとまらないことがわかる。

ここは自分がやらなければ誰もやらない。そういう考え方をすれば、自分しか占めることのできない固有の立ち居地、固有の役割を発見することになる。「ヴォイス」を持つというのはそういうことだと僕は思うのです。(本文より

 なんで、この(当たり前にみえる)考え方に触れる機会が今までなかったんだろう。たぶんこれって、昔々は当たり前過ぎる考え方だったんだろうな。

わざわざヴォイスや文体という括りはなかったにしても、口に出していうまでもなく、みんなこーやって生きていた。

言葉にされたなかっただけに、明治に「個人の自由」が入ってきたときに、意識されないまま消えていったんだろう。

それを竹宮さんがマンガの職人世界で実践してきて、内田さんが物書きで実践されてきたと。そしてその大事さを言う人が世の中にいないから、2人がその立ち居地を引き受けていると。

マンガという題材が切り口次第で、教育論としても語られるのは意外だった(内田さんが出てくるなら当然といえば当然だけど)。

竹宮恵子さんの「ファラオの墓」も読んでみたくなった。

 

ファラオの墓 (1) (中公文庫―コミック版)

ファラオの墓 (1) (中公文庫―コミック版)