旧約聖書や新約聖書、コーランなど古典的名著を独自の言葉で語るシリーズ
「ギリシャ神話の主だったものにこんな話があるよ?これって今の話でいうと、ナントカに近い」という語り口で、時代も文化も遠い「古典」と今の間を繋いでくれる
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たとえば、映画「黒いオルフェ」は、リオのカーニバルの時に、オルフェ(男)とユリディウス(女)が恋に落ちて、不条理な結末を迎えるという枕話が出てくる
それはギリシャ神話のオマージュで、竪琴の名手オルペウス(男)と、森の木の妖精エウリュディケ(女)が恋に落ちる話が元になっていると
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神話の二人も恋に落ちるのだが、妖精エウリュディケは蛇に噛まれて死んでしまう
竪琴のオルペウスは嘆き悲しんで、冥府の王ハデスのところまで暗闇の中を冒険をして、エウリュディケを生き返らせてほしいと頼みこむ
王ハデスは哀れに思い、オルペウスに「エウリュディケの手を引いて地上の世界に戻るがよい」「ただし、地上に戻るまで振り向いてはいけない」という約束で生き返らせる
しかし、オルペウスは不安になって地上に戻るまでに振り向いてしまう・・・
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さらに著者はこの手の話は日本神話にもあり、イザナギ(男)がイザナミ(女)と恋に落ちるのだが、イザナミが死んでしまい、イザナギは黄泉の国に連れ戻しにいくのだが、見てはいけないという約束を違い・・・という感じ
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ここで、個人的な経験を思い出した
親しい人と、離れた場所からやりとりしているときに、「今(私に)会いにきたら、あなたを嫌いになる」という言葉が送られてきた
相手にとって今、自分が切実に必要な存在であることは分かるのに、遠く離れたところから顔が見えない状態で、やりとりを続けなければいけないことだけ分かる
止むにやまれないルールがそこにはあって、自分も相手もそのルールに従って踊り続けることしかできない
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これって、村上春樹さんの書く小説の構造そのものやないかい?って今なら思う
人間には計り知れないルールがそこにはあって、ただ許されるのは、そうしなければならないと感じるルールに従って踊り続けること、正しいステップを踏み続けること
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そういう不条理にも思えることがこの世にはあるんだよと、ギリシャ神話や日本神話は昔から伝えてくれてるんだなと
そして合理性を重んじる現代でも、この不条理な話になぜだか多くの人が共感して、映画になったり、小説になったりしているんだなぁと
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ギリシャ神話や聖書に書いてあることを本当に受け取るためには、自分自身が人生の経験を積んでなんども繰り返し接したり、経験が少ないうちは、著者のような人にその解説をもらいながら読むといいんだろうなと