ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 僕たちの居場所論

「僕たちの居場所論」内田樹さん、平川克美さん、名越康文さんの雑談的おしゃべり。

昔からずっと所を得てない感が消えないので読んだ。 

スターウォーズの”Force”の話になる。平川さんは人と話すときに ” Forceというべき強力な何か ” が使えると。それを自然に使ってることで大学院入試をさらっと通り、会社経営ではどんどん資金を集めることができたらしい。名越さんは一つ目の病院勤務のときにForceを使っていた。

しかしForceは才能だから人に伝えることができず、後進に伝えたり育てたりすることができるのは、自分が一から積み上げてきた物事しかないと。逆にForceをいかに使わないようにするかが肝要だとも3人はいう。

いったいForceってなんのこと?と思うんだけど、話してる3人たちも自分のForceはよくわかってなくて、他人から指摘されて初めて分かる。自分には最初から当たり前に出来すぎて、できない人のことがよく分からないような分野があればそれ。

自分のForceに早くに気づいて使えたら社会的に成功しやすいけど、それは結果的にその人をダメにしてしまうらしい。そのあたりの理路がいまいちわからんけど、Forceを持ってる3人が言うならそうなんだろう。その悩み先過ぎる!という人のほうが自分を含めて多い気がするけど。居場所を作るにはForceじゃなくて積み上げ式の努力なんだろうか。

 

居場所のそのものの話としては、名越さんが集団の中にいても個として存在してしまうことに共感。いま勤めてる会社でも同僚や社長から、営業枠、事務枠、⚪️⚪️枠(自分の苗字)と言われる。扱いにくいんだろうなー。ある集団内部にいてもその中に同質化せず、異分子としてうまく働くときは潤滑油だったり、トリックスター的な機能を求められてるんだろうなとは考えている。うまく機能しないときは辞めて欲しい候補No.1だろうなとも。。。そのあり方を是と考えられれば、どこ行っても所を得た感になるんだろうな。

本 いきものがたり

水野良樹さん著「いきものがたり」

いきものがかりの馴れ初めや、路上ライブ時代、デビュー、曲作りなどなど、ファンにはたまらない内容。

読んでいて不思議だけどなんか納得するのが、いきものメンバーが「その場その時として正しいこと」をしていると周りの人が助けてくれるということ。デビュー前のバックバンドをやってくれた友達、ライブハウスの責任者から、マネージャー、ディレクターなど常にその時に必要な人が現れて助けてくれる。それが今に繋がっている。

友達にそういう ” 正しい振る舞いができる ” 人がいる。学生時代に写真を始めて、近所の写真屋のカメラマンを初めとして、どんどん師匠や先達をみつけて技術や世界が広がっていって、会社人を経て結局、世界的な写真家になってしまった。

いったい" 正しい振る舞い " ってなんなんだろう。「何かを自分発の思いで始めるんだけど、その中心は自分ではなくて、自分すらその実現したいもののパーツの一つに過ぎないような振る舞い」なんじゃないだろうか、と最近思う。

いきものがたり

いきものがたり

 

 本を読んでいたら7番目のシングル「茜色の約束」の話が出てきた。ちょうど会社の同僚とバンドで練習してる曲。「出会った二人が幸せでいるんだけど、別れの時まで意識してる感じ」という不思議な歌詞。

そしたら文章の続きに、つねに「死」を意識してすべての歌を書いているとあった。ラブソングの言葉ですら、永遠の愛などはリアリティが感じられないと。人生の有限性を少し強めに歌詞に出してる所も共感されているんだろうか。そういえば昔付き合ってた彼女がけっこう幸せ絶頂のときに、いつかどっちかが先に死んでさよならしてしまうことを思って涙ぐんでいた。結局その前に別れてしまったけど。

閑話休題

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現在の活動休止は、それが「いきものがかり」をめぐる人たちにとって、一番正しい振る舞いで、「いきものがかり」を生かしていく手段なんだろう。

2週間後が同僚とのバンドのライブ。一年に一回だけでメンバーは毎回違う。なまものっぽさだけ勝手に親近感。

 

本 大人の女におやつはいらない

鍼灸師の若林理砂さん著「大人の女におやつはいらない」

現代版「養生訓」。自分は食べ物や生活に気を使う方だとは思ってる…けど、どこかで思考停止というか感覚停止を起こしてる!?というチェックに。

とたとえば本によると、半身浴は体の体質から効かない人がいる。ほんとは説明されなくても半身浴を実践してる人にとっては、その後に気分がすっきりするのか、体がぐたっと疲れるのかが分かってるハズ。

でも半身浴は体にいいハズだからと(感覚停止をして)実践して、余計に体を冷やしている人がいる。・・・そういう自分の中の感覚停止がどの分野で、どの過程で起こっているかをチェックするのにとてもいいと思う。バカの壁の感覚版かな。

大人の女におやつはいらない

大人の女におやつはいらない

 

もともとの養生訓を読んだことはないけど、自分の感覚を大事に頼りにしていくという姿勢はきっと同じなんだろうと思う。感覚を大切にできる生活をするために、どういう習慣を作っていけばいいのか?という習慣の作り方を教える本。

本 ヒモトレ革命

小関さん著「ヒモトレ革命」

この本というか、ヒモを使った体のバランスを深める手法は今年一番のお勧め。

直径6mmのひもが与えるフワッとした触感が、自分の体の存在を主に無意識クンに教えてくれる。そうすると普段使われてない体の部分もよく働くようになって、いつもよりバランスが取れて、楽に動けるようになる。

ってなことを全く考えずに、ただヒモを使って実感して楽しむのが一番オススメ。本にも書いてあるけど、なんらかの体の不調がある人には、生活や仕事の質がいきなり上がる人もいるはず。いやほんとオススメ。個人的な実感でいうと寝返りが増えた。

ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ

ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ

 

 どうしてこんなに簡単なことで体の働きが変わるんだろう。これって動物にも効くんだろうな。そしておそらく昔の人もこのことを知ってたはずなのに、どこで、なんで廃れてしまったのだろう。

服の始まりって寒さを防ぐためじゃなくて、この体を上手に使うための刺激として発達したってことはないのかな。

本自体は甲野善紀さんとの対談が80%なので、小関さんやひもトレの発展の歴史や応用に興味がある人向け。ひも自体を買えば使い方がついてくるので、試したい人はそれだけで十分。

本 自分の時間を取り戻そう

ちきりん著「自分の時間を取り戻そう」

ちきりんシリーズは読んどけーで読み始めたら、危機感を覚えることになった。「自分の時間はちゃんと取れてますよ」と思ってる人も「生産性」という視点で自分の行動を見直すためにはとてもお勧めの本。

たとえばちきりんは、”現行の学校教育は生産性が低いので、もっと短時間で済ませる方法が存在するんじゃないか?”と主張する(その真偽はともかく)。それに対する反論として”学校教育は(存在する)価値がある”という主張をする人がよくいると。

「ないよりあれば価値があること」と「生産性の低いこと・高いこと」の混同を多くの人は(僕を含め)してるんじゃないだろうか?

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

他人の「生産性」が低くてもアレコレ言うことではないのだけど、ちきりんに言わせると「生産性」が個々人の間でおそろしく開いていく時代であるというのが、過去と違うと。

つまりこれからの世界が、「AIが同僚」の時代だと考えるなら、まずは仕事で生産性を上げないことには、自由な(私的な)時間を作ることすら難しくなっていく。だってAIや選択と集中で生産性をどんどん上げていく人と競争するのに、長時間働くことで対抗するしかないから。

そのために絶対終わらない量の仕事を自分に課したり、いつもの仕事を半分の時間で無理やり終わらせるという方法論が紹介されていた。やってみる価値はある。さらには先駆けてAIを自分の仕事に組み込む方法を考えるのもありだと思う。

 

蛇足ながら、逆になんだかこの「生産性」があまりに強い指標になり過ぎるきらいもしてきた。自然選択説に反論が思いつかないように「生産性」と同等クラスの指標が見えない。いきものは「生産性が高い」ことが根本的に好きなんだろうか。

本「AIが同僚」 あなたはたのしく一緒に働けるか

本「AIが同僚」日経ビッグデータ記事の再編。

「(AIが同僚になって)あなたはたのしく一緒に働けるか」という副題は本当の問題ではないと思う。だってAIは人間が苦手とすることをやってくれるんだから、AIを使い始めたら楽だし、ない時代に戻れるわけがない。

じゃあ一番の問題は何かと言ったら、既にAIを同僚として圧倒的な生産性の向上を上げている組織と、そうでない組織の生産性の違いがもたらす過渡的な不均衡が問題だと思う。

AIが同僚

AIが同僚

 

 例えば産業革命の時代に、手で糸を撚っている組織と、蒸気機械で糸を撚り始めた組織では生産性が何百倍も違うことを考えれば理解しやすい。その二つの組織が対等に勝負できるはずがない。

つまりは、同じ業種の中でのAIを使い始めた組織とそうでない組織の生産性の不均衡が問題になってくると思う。さらにAIが導入しやすい業界とそうでない業界の生産性の向上の不均衡も考えられる。

 

 そして誰もが気になる「職がなくなるか?」という話は、AIで生産性が高まるということはその定義からして、「人がより要らなくなること」=「生産性の向上」なわけで、今ある仕事のいくつかは無くなるに決まってる。

逆に「無くならない変わらない仕事」があるとすれば、それは生産性が他業種に比べて相対的に低いままだから、今よりなんらかの不便を強いられるじゃないか?

 

最後に、人間は現在のAIにできない「価値や文脈の新たな定義を生み出す仕事」をすることになる、という理路は楽しいし実際そうなんだけど、皆がそれを「仕事」にできる世界はまだ想像できない。だから個人的にでもチャンスのある人はどんどんAIに触れていくのが最善策だろうと思う。この本の後半のビジネスで実際に使われているAIの例は刺激になる。

生産性の概念からしたら個人でAIを組むようなレベルに意味はないと思いつつも、いてもたっても居られなくなり、AIをUMEDYで勉強を始めた。

本 一汁一菜でよいという提案

「一汁一菜でよいという提案」土井善晴さん著。

 その日の味噌汁、ご飯、一品のおかずを食事の基準にする。それだけで、何品も準備しなきゃという呪縛から解かれ、栄養も十分で事足りると。

料理する人に精神的な余裕が生まれ、一汁一菜が家族にとって基準になると、今日予定外で新鮮な魚を見つけて買っちゃったとか、ちょっとしたプラスαの料理がみんなにとって嬉しいことになる。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

なるほど、一汁一菜は「アイデア」なんだと思った。一汁一菜にすれば余裕ができて、丁寧に料理できて、食材の偶然を呼び込むこともできて、しかも栄養の摂りすぎにもならない。  洗い物も減って、食費も下がる。国の医療費も下がったりして(笑)

みんな生涯にわたって毎日3度の食事を摂るわけだから、このアイデアを自分のものにした人には、人生を静かに変える本になってしまうかもしれない。

一汁一菜という品数を減らすことで、逆に「食事」が豊かになる提案。