molingitのブログ

本の感想と体の感覚

本 仕掛学

「仕掛学」松村真宏さん著。

例えば、エレベーターの横に鏡を設置しておく。エレベーターを待つ人は、自然に鏡を見て身だしなみを整えてしまうので、待つことに苦痛を感じにくくなる。

ということは、1〜2分待つ場所に鏡を用意するのは、イライラを減らす汎用的な方法になると想像できる。

仕掛学

仕掛学

 

思ったのは、普段からどれだけ「仕掛」に無意識に誘導されているのか、ということ。歩行者信号の点滅とか。逆に、使いにくい・分かりにくいモノ・コトは「仕掛」マインドが足りてないんだなと。

イデアをもらうというより、仕掛の考え方の端緒や整理に向いている本。

本 新型ぶりっ子のススメ

下田美咲著「新型ぶりっ子のススメ」

女性が相手(ここでは日本人男性)を基本信頼して、自分はどうしたいのか?を言葉と行動にしていくやり方とその意義を伝えている。

例えば、初デート後の連絡でダメなのは「今日はありがとうございました」で、良いのは「今日は楽しかった、嬉しかった、また会いたい」だと。

 →男性はデートの首尾が不安なので、ポジティブな感情や意思を伝えると「次も誘っていいんだ!」と安心して、次も誘ってもらえると。

また、服装、髪型、体型など相手の好みに合わせるまではがんばるが、一緒にいるときには相手にどう見られてるかを気にせずに、相手がいま何を考えてるかを常にリサーチしろと。

 恋愛がずっとうまくいかない人は本人の振舞いに問題があって、それを一つずつ分析して実行レベルで提案する能力がすごい。その根底には仕事や趣味は努力するのに、恋愛だけありのままでいたいっておかしくない?という、しごく真っ当な発想がある。

他にもエロさのもろさや、いやと束縛、誇張と嘘の違いなど大事な視点がいっぱいあった。前作の「生きているだけで死にたくなるような世の中で生きていてもいいような気がしてくる119の名案」は数合わせ的な話もあったが、この本は密度が高く無駄がない。男性にもオススメ、渾身の一作。

本 骸骨考

養老孟司さん著「骸骨考」。「身体巡礼」に続く骸骨編。

ヨーロッパ(ここでは南欧)には骸骨を何千体もこれでもかと祀った寺院がいくつもあるらしい。そこを回って養老さんがぶつぶつ考えたことが書かれている。なんでこんなもんを遺したのだろうか、何を考えていたのだろうか。 

骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く

骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く

 

 今回養老さんから受け取れたものは、英語の主語「I」がなぜ省略されないかと日本語の意思決定の状況依存という対比。

英語のIは「 I play tennis.」のように動詞の語尾変化があるので、「play tennis.」としても主語が誰かも含めて通じる。なのになぜIを省略しないか。それは

「(他でもない)”私”が、テニスをする」

という「私=I」の存在を常に確認させる仕組みになっているのだと。他にも「tea or coffee?」と聞かれるのも最終目的は受け手へのサービスではなく、それを決める「私=I」が存在することを確認させるためなんだと。

 

対して日本語の世界では、物事が決まる(≠決める)のは、自分も含めた周り全体の状況や成り行きの総合結果として、目の前にあるように「決まる」んだと。

確かに学生に「志望動機」を書かせると、「私は⚪️⚪️したい」から始まらずに、日本全体の評論分析のような他人の言葉が文全体の80%くらい連ねられて、最後にちょこっと「私の気持ち」が書かれる。実に日本文化を継承している。

逆にいうと大学や会社の面接でそれまでの人生で経験したことのない、「私」を全面に押し出す西洋的心遣いを、いきなり演じろという無理難題をふっかけられているとも言える。この2種類の文化が日本社会に混在して存在していることを、きちんとオトナが教えてあげないと、不器用な生徒はいつまでたっても面接に落ち続けることになる。と過去の自分にも教えてあげたい。

 

骸骨は何も言わないから養老さんはその前で自由に息をついて、考えることが出来るそうな。

ギターを始めたらメトロノーム

ギターを始めて一年ちょい。

スタジオで友達に歌わせて演奏したらリズムが合わない。今まで自分勝手に弾いてきたんだから当たり前なんだけど、二つダメなところに気づいた。

 ①弾きやすい部分で早く、弾きにくい部分で遅くなっていること

 ②自分が好きなテンポでしか弾けなくなっていること!!

まぁ①に関してはあるかなと思ってたし、練習したらなんとかなる。しかし②は根が深く簡単には治らない。例えば自分の好みのテンポが120でずっとそれで弾いていると、ちょっと遅い110とか100のテンポが全然弾けなくなる。80とかズレがハッキリしてるならまだ弾けるのに。

遅まきながらメトロノームを2つ買った。

日工 メトロノーム スタンダード ブラック 226

日工 メトロノーム スタンダード ブラック 226

 

 アナログなこいつは、エレキをヘッドホンで弾く時に役にたつ。とかく目立つので演奏しながら目の端でリズムが捉えられる。リンという音も1拍ごとに鳴らすのから4拍ごとに鳴らすのまで可変だったり、意外に芸が細かい。ゼンマイが切れるとふっと止まる。一回でも落としたらアウトだろうなー。

 

KORG メトロノーム MA-1 BKRD ブラック レッド

KORG メトロノーム MA-1 BKRD ブラック レッド

 

 デジタルなやつも買った(青色バージョン)。持ち運び用。音が小さいので聞きながら弾くのは難しい。振り子を模した絵が動くのを、目の端に捉えるやり方になる。440HZのチューナーにもなる。細かいテンポ指定はやっぱりこのデジタルだろうと思う。スマホアプリの無料のも使ったけど、長く音楽をやるなら最初からちゃんとお金を出しとけよと、過去の自分に言いたい。

いつかテンポから離れて自由に弾いても、聴く人にとって心地よくなるときが来るんだろうか。 

本 小さな塵の大きな不思議

本「小さな塵の大きな不思議」ハナホームズさん著。塵を時間的、空間的、科学的な角度から捉えた珍しい本。

大きくは太陽や地球、人間を含むすべては塵からできているという、塵による循環の話がある。そして小さくは、普段の生活で僕たちが塵にどう関わっているか?というのが面白くて怖い。

人間の鼻は自然界にあるもので有害な小さい塵を鼻で止めて、肺に回さないように出来ている。でも人工的に作られたもの・環境が出す塵は、自然界にあるものより小さく鼻を素通りして、肺にたまってしまう。

それが例えばPM2.5と呼ばれる粒子のサイズで(より小さいものを含め)肺に貯まってしまい、最悪、呼吸困難につながり息が吸えなくなり死ぬというもっとも苦しい死に方につながる。

小さな塵の大きな不思議

小さな塵の大きな不思議

 

 家の中で使う化学物質(消毒系、殺虫系、洗剤、芳香剤、接着剤、ろうそくの煤、煙草、etc)は空気中を漂い、肺に溜められていく。当然アレルギーや喘息に関係してくる。塵はもっと健康的な意味で考慮すべき項目だと思う。

職業的に木材加工や金属加工、ガラス加工、パン職人、牧畜など、小さい粉(と塵)が出る職場にいる人は、それぞれの職業名のついた肺の病気や喘息になりやすいという。

 

塵に正面から向き合って、避けて暮らそうとすると、他の多くを犠牲にしなければならない。なんにもしなくても毎日、数十万個の塵を吸ってるわけだけど、少しでもましにしようと空気清浄機を新調した。化学系の物質は極力使わないようにしよう。

 ちなみに63ミクロンより小さいものを塵と呼び、それより大きいものは砂粒言うらしい。なぜそのサイズが境なのかは知らない。しばらく自分で考えてみたい。飛ばし読みをしたので本の中にあったかもしれないが。

本 浄心への道順

浄心への道順」スマナサーラ僧侶と名越康文さん対談。

 いつもと違って妙に神妙な名越さんと、お坊さんにしては怒りが多いんじゃないかって感じるスマナサーラ僧侶のお話。 

 鉛筆や箸も練習して使えるようになるのと同じく、瞑想は脳の使い方の訓練であると。なにを訓練するかといえば、モノゴトがそのままあるように見るのを邪魔する「ワタシ」を消していく。

瞑想の訓練により偏った見方を消していくことで、頭が良くなったり問題を解決するのも上手になったりすると。それが主旨ではないにせよ。

スマナサーラ僧侶によると、脳の機能モジュールには視覚とか味覚とかあるけれど、「ワタシ」という全体をまとめる役割を果たしてるものはない。それはそういう機能モジュール群があるところに二次的に創発して出来たものではないかと。

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本から離れて:お釈迦さんの生きていた時代は紀元前300年前あたりと言われていて、漢字の歴史の中に「心」が出来てたのが紀元前500年前ぐらいと言われている。そこから推測して考えると「心」が出来て以来、人間ってその対処法に悩んできたんだなと。

その割に瞑想法が広まってないのはなんでだろう。秘伝だったんかな?それか皆知ってる当然のことだったのに、どこかで断絶した?例えば、歩き方も明治を境に日本では全く変わってしまった可能性があるけれど、あまりに日常的なことなので意識されていないのと同じく。

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瞑想はただの心のリセットの強力版と思ってたけど、そうではなくて脳が強化されるとすると、ちょっとこれはやってみたいと思う。

本 宇宙からみた生命史

「宇宙からみた生命史」小林憲正さん著。

この本を読んで生命史観が確かに変わった。生命そのものは分からないままだけど、それが全体として案外しぶとくて、けっこう宇宙にありそうで、でも一つの種を見るとたやすく滅んでしまう、そういう触感が伝わってきた。

宇宙からみた生命史 (ちくま新書)

宇宙からみた生命史 (ちくま新書)

 

宇宙にはアミノ酸前駆体とガラクタ生命(筆者命名)があって、それが色々な星に降り注いで生命のきっかけを与え得る話からすると、姿は違っても、ミクロ部分では似たエネルギー交換システムの生命体がありそうな気がしてきた。重力や大気構成割合が違うことで、生命の最適サイズは変わってきそう。

他にもメタン液体中の生命の可能性などを考えると、生命の起こりそうな可能性は従来より広まる。でも他の知的生命と交信できる可能性はやっぱり低いらしい。

 

そして人類という種なんだけど、自然現象によって千年単位で滅んでしまう可能性を知った。 太陽フレアの問題。

強い電磁波が地球にも届いて、今までにも町レベルで被害を受けている。自然現象なので、地震と同じくフレアの強度と起こる頻度が反比例する。今まではたまたま百年単位で起こりうるフレアしか起こってないけど、千年単位で起こるスーパーフレアが発生すると、電子機器が全てダメになる可能性がある。

なんだろう、いまの社会のシステムってここ100年起こってないことは想定しない前提で組まれてるんだな。なんだかとっても残念。

 

(自分の想像力の限界だけど)生命ってやっぱりどの星でもイマココ的な存在になっていくんだろうか。あまり先のことを考えられなくて、科学技術が発達してもそれが使えない状況(by自然現象)になって滅んだりしちゃってるんじゃないだろうか。